仏典結集


仏典結集ぶってんけつじゅう

 

 

釈尊の弟子達が集まるミーティング

 

 

「結集」は「けっしゅう」と読むかと思いきや「けつじゅう」と読みます。

 

 

「結集」とは、釈尊が口で話した哲学(世界中の皆が幸せになる方法=法華経)を、残された弟子達が整理してまとめる作業のことです。

 

 

現代風で言うと、「ミーティング」とか「編集会議」といった感じです。

 

 

当時の弟子達には、かなり大変な一大イベントでした。

 

 

 

弟子達の間で話の食い違いが起きた

 

 

なぜこのミーティングが必要になったかと言うと、釈尊は、自分が話してきた哲学の内容を紙などに書いて残さなかったので、釈尊本人が亡くなった後、弟子達の間で意見の食い違いが出てきてしまったからです。

 

 

釈尊が話していた哲学を弟子達が正しく伝えていくために、「皆が聞いた釈尊の話を、まとめてすりあわせしようぜ!」となったのです。

 

 

整理と言っても、鉛筆で紙とかに書いて記録したかと思いきや、弟子同士が口で話し合って記憶する方法でした。

 

 

当時のインドでは、神聖な言葉は文字にしてしまうと、その神聖さがなくなってしまうと考えられていました。
口で話して伝えていく文化(口頭伝承)だったからです。

 

 

 

計4回の仏典結集(ミーティング)

 

 

・第一回目

 

 

集まった日時:
釈尊が亡くなって3ヵ月後(※かなり早い!)

集まった人数:500人

集まった場所:マガダ国の首都ラージャガハ(王舎城)

話し合い期間:7ヶ月間(一回集まって終わりじゃない)

 

 

 

これ以上、弟子達の間で意見が食い違うとヤバイと思った上層部の弟子(現代で言う幹部)は、早々にミーティングの段取りを決めて、弟子達を集めました。

 

 

釈尊から聞いた話を覚えてる限り話し、互いに覚え間違いがないか、漏れはないかのチェックをしました。
余計な付け加えもせず、すりあわせをしてまとめあげました。

 

 

 

どんな話し合いがされたの?決まった内容は?

 

 

残念ながら、現代の学問(学界)では「分からない」と言われています。

 

 

当時のことについて、紙などの記録が一切残っていないからです。

 

 

当時の中国や西洋では筆記用具を使って紙かなにかに記録を残す文化はあったのですが、インドではその文化がなかったのです。

 

 

さらに学界では、以下の意見があるそうです。

 

 

・人から人への口伝えでは覚え間違いや言い間違い、聞き間違いが必ず出てしまう。

 

・釈尊の話がそのまま正しく保存されているはずがない。

 

・今の法華経は、西暦紀元前後にスリランカで書かれた以後のもの。
それまでの約五百年間は、忘れたり間違ったり、内容に付け加えられたり、あれこれごちゃ混ぜになっていたはず。

 

・今の法華経は、釈尊の直接の教えとは言えない。

 

 

一方でインド側では、「釈尊の話(法華経)は変えずにきちんと保存しよう!」と人々が昔から大切に保存して来ました。

 

 

色んな意見や憶測がありすぎて、また誰も知らない昔のことなので証明するものが全くないことから、結局真相は誰も分からないのが現状です。

 

 

 

・第二回目

 

 

集まった日時:
釈尊が亡くなって100年後

集まった人数:700人

集まった場所:毘舎離びしゃり大林精舎だいりんしょうじゃ

話し合い期間:8ヶ月間

 

 

 

この頃、釈尊の話は、人によって解釈の違いが出てしまいます。

 

 

そして、ふたつに分かれてしまいました。
ひとつは、お坊さん向けの内容で、もうひとつは、一般人向けの内容です。

 

 

 

伝統を守る派 VS 一般ウケを良くしよう派

 

 

お坊さん向けは、釈尊のクソ難しい話を理解出来る、頭がいい人だけが幸せになれるという考えで、生活する中で○○はしちゃダメ~などのルールが多い。

 

 

対して、一般人向けは、みんなに釈尊の哲学を伝えるため、ルールはゆるくして、その時に流行った釈尊以外の人が話した哲学も取り入れちゃえって考えです。

 

 

 

・第三回目

 

 

集まった日時:
釈尊が亡くなって200年後(紀元前3世紀)

集まった人数:1,000人

集まった場所:マウルヤ王朝の首都パータリプッタの華氏城けしじょう

話し合い期間:9ヶ月間

 

 

 

ミーティングの主催者は残虐王と名高いアショーカ王。
アショーカ王は、釈尊の哲学に感動し、信仰を深めます。

 

 

 

荒れる信者の心、細分化で歪んでしまった釈尊の哲学

 

 

この頃、信者達の心は荒れ、色んな派閥が出てきてしまい、釈尊の哲学がどんどん変えられていき、完全に歪んでしまいました。

 

 

釈尊の哲学が衰えていく様子を悲しく思ったアショーカ王は第三回目となるミーティングを開きます。

 

 

ここでようやく初めて、釈尊の哲学が筆記用具で文字にされます。

 

 

また、仏教が世界に広く知れ渡ったのはこの時代がきっかけとされています。

 

 

 

・第四回目

 

 

集まった日時:
釈尊が亡くなって400年後(紀元前2世紀)

集まった人数:500人

集まった場所:カシミール

話し合い期間:10数年

 

 

 

釈尊が亡くなって500年後、700年後という説もあり、真相は不明。

 

 

主催者は北インドを支配したカニシカ王。

 

 

まだインドに紙が伝わってなかったので、ミーティングで話し合った内容は植物の葉に書かれていきました(大毘婆沙論だいびしゃろん)。

 

 

また、この時代に初めて仏像が誕生します。

 

 

※第三回、第四回の結集は、北と南の言い伝えに違いがあるので、やはり全体的な内容の真相は不明です。

 

 

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